部屋に求めることから社会を見てみる
今週のお題「わたしの部屋」
こんばんは。
しょうへいです。
今日は仕事が休みだったので購入した新たな本棚を組み立て、部屋を掃除して1日が終わりました🧹
本棚は元々あったのですが、本で一杯になったきたので追加しました。笑
ブログで読んだ本の紹介や感想、自分の人生における評価をしたいなと思います📚
小さい頃は本を読むことがあまり好きではなくて、
親に読まされたり、読書感想文などのときにくらいにしか読みませんでした・・・笑
社会人になってから急激に読む量が増えて、かなり影響を受けています。
よく言われるのが、自分の考える範囲や想像の範囲は限られており、仮に一人の思考量の限界値を1とすると、その思考量やアイデア、考え方の変化をそれ以上に広げるには他人の思考の範囲を貰わなければいけない、と。
そのために本は他人の頭の中を知り、自分の思考の範囲を広げるためにはかなり有効ですよね。
IT革命や、テクノロジーの進化、AIや通信技術向上など人類はツールを進化させることで人類自身も進化していますが、本は昔から普遍的な人類のツールであると思います。
本の話はこれから紹介していければと思います。
(結構古い本も読んでいるので流行などはあまり気にしません。笑)
●本題へ
さて、コロナ騒動による在宅ワーク、休日の外出自粛で自分の部屋にいる時間が急増しています。
今日は僕の部屋を改めて眺めてみて、思ったことがあります。
「部屋に何もない・・・😅」
ベッド、ウォーターサーバー、本棚、テーブル、以上。笑
7畳ほどの部屋なのですが、かなり広く感じます。
そんな部屋を眺めながら、
僕は自分の部屋に何を求めているのだろうか?
と考えました。
●初めての自分の部屋
僕が初めて”自分の”部屋をもらったのは高校受験準備の年が迫ったの中学2年生の頃。
兄弟が3人いて相部屋だったこともあり、勉強に集中したいと言う理由で空いている和室をもらいました。
その時のことを思い出すと、思春期真っ只中で実家で一人になれる空間と言うのは嬉しいことでした。
その当時、自分の部屋に求めていたモノは「一人の空間」だったんじゃないかなと思います。
なので特に部屋に置くモノや物理的なモノにはこだわりがなく、ただ”その空間”を求めていました。
中学時代の部屋に唯一こだわりがあったものと言えば「お香」です。笑
小さい頃から良い匂いのものが好きで、特にお香の匂いが好きでした。(今でも好きです。笑)
ただ、小さい頃はモノを捨てるのが嫌いで文房具や、本、小さい頃のプラモデル、人形などなどモノで溢れかえっていたと思います。
高校時代に入ると、彼女ができたこともあり、
より家族の中で”一人”と言う空間に執着がありました。(典型的な思春期・・・😅)
今思うと恥ずかしいですが、彼女にもらった手紙や写真を鍵付きの引き出しなどで大切にしまっていました。笑
●大学時代に始まった一人暮らし
僕が初めて一人暮らしで、実家から物理的に自立し生活を始めたのは大学生になってから。
その頃は自分の「初めての生活空間」でした。
特にお洒落大学生でも自炊学生なかったので、家具へのこだわりや家電、料理道具などへのこだわりはなく、学生生協で買って貰った物をずっと大事に使っていました。
バイトも初めて、お金も自由に使える余裕が少し出てくると、”あれも欲しい”、”流行りのこれも欲しい”、”あのブランドの服が欲しい”など時間が経つにしたがって部屋に物(服、本、小物など)が増えていき、僕の部屋は”モノ”で溢れかえっていました。
大学時代に付き合っていた彼女の下宿先アパートも近く、いつの間にか二人の家を行き来して、お互いに半同棲のような生活だったので、二人のモノで溢れかえっていました。
その時部屋に求めていたことは「欲しいと思ったモノが揃っている空間」でした。
整理整頓はしていましたが、とにかく物理的なモノで溢れかえっていました。
今思うと本当にそれで落ち着ける空間だったのか?と思うほどです。
(モノに囲まれて、ごちゃごちゃした空間に落ち着きを覚えることはあるかもしれませんが)
●大学院時代とともに訪れた変化
そんな中で大学院に進学する際に引越しをしました。
そのとき、たまたまある本を読んで思い切ってモノを手放すことにしました。
その本が
「20代のうちにしておきたい17のこと」
確かこの本だったと思います。
無駄なモノを手放して、本当に必要なものだけ身につけること。
現代はモノは簡単に手に入る。
必要なときにだけ揃えれば良い。
コンビニは巨大な倉庫
と言ったことが書かれており、
「物理的なモノに囲まれることが幸せなことではないんだな、モノで溢れかえっていると昔のものや思い出に引きづられてしまう」
と当時、プライベートでもいろいろあったことで思ったことを覚えています。
そして大学院進学と同時に引越しをした際に本当に大切なものだけを残し、あとは手放しました。
その当時から本当に必要なものだけを身につけ、その中でも少し高くても「ちょっと良いもの」を身の回りに置くようになりました。
そんな当時の部屋に求めていたことは「無駄のない、良いものに囲まれた自分の空間」だったと思います。
とは言え、結局良いモノでも買い続ければ溜まっていくモノ・・・
結局、卒業の時期に引越し準備をしているとかなり物が溜まっていたと思います。😅
●社会人になって
そして現在、僕の部屋は上記でも書きましたが、
基本的にベッド、ウォーターサーバー、本棚、テーブル、スタンドライトだけです。
僕が今の部屋に求めているのは「自分が成長できる空間、人生について考えられる空間」です 。
なので、テレビもありませんし、ゲームや漫画、娯楽品はありません。
昔からの趣味のカメラとMacくらいですね。
最近意識しているのが、時代の流れ的に日本での消費社会はもう終わる、ことです。
もちろん物がなくなるわけではないですが、
昔のように
”流行の新しいブランドの〇〇”、
”新しい〇〇が出たから買い換えなきゃ(買い足さなきゃ)”、
と言った消費行動に移る人は、特に若い人の中では大幅に減った印象を受けます。
企業側も特に寡占市場の商品は、『良い物が必ず売れる』時代はとっくの昔に終わり、
若者の多くは物理的なモノから経験やサービスに対してお金を落とすと聞いたことがありますが、その通りだと思います。
「最近の若者は車も買わない、家も買わない、ゴルフもしない・・・」など言われますが、
僕たちも必要であれば車を買いますし、必要であれば家も買います。
ただ、自分の消費活動や満足のために全員が全員、昔のように車を買ったり、家を買ったり、と言うことはしないと思います。
理由は明確で不確実性の強い現代で、満足のための車や、高価なモノへの価値やステータスが薄れていっているからです。
もちろん趣味や一部の富裕層は例外ですが。
何かを買うときは自己満足や他人からの評価ではなく、自分にとっての意味があるモノ、未来で役に立つモノと言った理由を無意識に考えているのだと思います。
最近、ミニマリストや最低限の生活についてよく耳にしますが、
あの方達は現代ならではの合理的な生き方だと思います。(違う意味もあると思いますが)
ただ僕自身がミニマリストなどに興味があるわけではなく、
つまるところ自分の部屋を見返して、
なんでこんな部屋なのか?と言うことを考える(言語化する)と、
自分が無意識に何を考えてモノを揃えているのか?
無意識の自分はどう言う消費活動をしているのか?
本当に必要なモノは何か?他人からの目を気にしていないか?
今の時代に必要なことか?
などを考える良い機会になれると思います。
そんなかで僕がこの記事で言いたいことは、部屋をコロナで外に出られない日々が続きますが、
自分の部屋を見つめることで、自分の無意識と向き合ってみることができます。と言うことです。
皆さんは自分の部屋に何を求めているでしょうか?
皆さんの部屋はどんな部屋でしょうか?
しょうへい